第60号(2012年1月15日号)
目次
会話文「 」(カギカッコ)の文末に,句点(。)はつけるのか
<質問>
文章の書き方で、会話文の場合「 」の文末に句点(。)をつけるのかどうかについて記述した資料を紹介してほしい。
<回答>
以下の資料に記載がありました。
資料1 『日本大百科全書 7』小学館, 1994
pp.494-495 「句読点 くとうてん」の項
「(前略)句読点の用い方はいまだ確定しておらず,種々の方法が提唱されているが,その一例として文部省「くぎり符号の使い方」(文部省『国語の書き表わし方』付載,一九五〇年十二月)に示された原則を簡略化して次に掲げる。(後略)」
資料2 文部省教科書局調査課国語調査室「くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)」
この資料は文化庁ホームページ「国語施策情報/参考資料/くぎり符号の使ひかた」の項に掲載されています。
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/joho/kijun/sanko/pdf/kugiri.pdf(最終アクセス日:2011/12/21)
(1)資料の冒頭には下記の説明があります。
「◆ これは、昭和二一年三月、文部省教科書局調査課国語調査室で作成したもので,文部省で編修又は作成する各種の教科書や文書などの国語の表記法を統一し,その基準を示すために編纂した四編の冊子のうちの一編です。
◆ この案は,発表以来半世紀を経ていますが,現在でも公用文、学校教育その他で参考にされています。(後略)」
(2)「くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)」の「まへがき」に下記の記載があります。
「一,この案は明治三十九年二月文部省大臣官房調査課草案の句読法(案)を骨子とし,これを拡充してあらたに現代口語文に適する大体の基準を定めたものである。
二,くぎり符号は,文脈をあきらかにして文の読解を正しくかつ用意ならしめようとするものである。
三,くぎり符号は,左のごとき約二十種の中から,その文の内容と文体とに応じて適当に用ひる。(中略)
四,くぎり符号の適用は一種の修辞でもあるから,文の論理的なすぢみちを乱さない範囲内で自由に加減し,あるひはこの案の参考として更に他の符号を使ってもよい。」
(3)「(一)主として縦書きに用ひるもの」の表が掲示され,会話文については下記の用例が示されています。
「呼び名 (1)マル / 符号 。/ 準則」の項
「二,「 」(カギ)の中でも文の終止にはうつ(例4)。/ 用例 (4)「どちらまで。」「上野まで。」」
資料3 共同通信社編著『記者ハンドブック』共同通信社, 2010
p.123 「句読点 句点「。」 」の項
資料4 大隈秀夫『実例文章教室新訂版』日本エディタースクール出版部, 1997
pp.16-21「第一節原稿用紙の使い方」のp.19「会話の書き方」の項
<回答日>
2009/09/18
朴沢松操学校初代校長・朴沢三代治の叙勲年月日について
<質問>
朴沢松操学校初代校長・朴沢三代治の叙勲年月日を調べてほしい。
<回答>
1 朴沢松操学校初代校長・朴沢三代治の叙勲年月日について
下記資料に掲載がありました。
資料1 総理府賞勲局『紅・緑・藍綬褒章名鑑』大蔵省印刷局, 1980
p.376「藍綬褒章」の項
「宮城県仙台市良覚院町二十四番地 士族
朴澤三代治(文政四年五月五日生 明治二十八年十一月五日死亡)
明治二十七年五月五日授与(第二一九号)
夙ニ裁縫術ヲ修メ職ヲ本県師範学校ニ奉シ傍ラ松操女学校ヲ私設シテ専ラ女子ニ裁縫科等ヲ教ルコト?ニ十有七年(中略)公私ノ学校ニ従事スル者七百余名ノ多キニ至ル其他裁縫教授書及掛図ヲ著作スル等洵ニ公衆ノ利益ヲ興シ成績著明ナリトス」
資料2 宮城県史編纂委員会『宮城県史 11』宮城県史刊行会, 1959
pp.347-349「三 私立女学校の沿革/朴沢松操学校(朴沢女子高校)」の項
「本校の前身である松操私塾の創設は明治十二年一月のことである。本塾は創立の当初,専ら裁縫を主とし,兼ねて小笠原流女礼を教授して,家庭に於ける善良なる婦人の育成を目的として発足した。創立者初代校長朴沢三代治は,実践的な裁縫塾を経営すると同時に,氏独特の創意工夫により,わが国の裁縫教育に革新的な一斉教授法を創始した先覚者である。(中略)かく県下の裁縫教育に大きな刺戟を与え,特に教授上に一新機軸を出した功績は甚大である。当時世人は氏を評して「東北の福沢諭吉」とまで讃えたということである。畏くもこのことが天聴に達し,二十七年五月五日付を以て藍綬褒章を賜った。」
2 他機関所蔵資料について
国立公文書館所蔵資料検索
http://www.digital.archives.go.jp (最終アクセス日:2011/10/27)で調査しました。下記資料がヒットしました。
資料3 朴沢三代治ヘ藍綬褒章下賜ノ件 【要審査】
[請求番号] 本館-2A-013-00・纂00307100 [件名番号] 006 [作成部局] 内閣 [年月日] 明治27年 05月05日
<回答日>
2009/05/22