第46号(2011年6月15日号)
目次
椿油を家庭で作る方法
<質問>
椿油を家庭で作る方法を知りたい。昔ながらの伝統的な方法ならなおよい。
<回答>
1 図書資料として下記のものがありました。
資料1のpp.14-15「ナタネ,ツバキ,オリーブ油のしぼり方」の項に「つばき油のしぼり方」として写真入りで説明があります。また,pp.20-21「ツバキ,ヒマワリのタネをしぼってみよう」の項に使い方,保存方法等の説明があります。
資料2のp.228「5 椿油」の項に椿油の作り方と,しぼり方の図があります。
2 雑誌記事として下記のものがありました。
資料3のpp.84-87「万能油ツバキ 使い方いろいろ,搾りカスのセンチュウよけ効果も絶大」の記事に搾油までの手順の説明があります。
資料4のpp.82-85「年をとっても髪のハリを保つ椿油をしぼる」の記事に椿油の作り方の説明があります。
資料5のpp.24-25「椿花咲く唐桑へ」の記事には,唐桑半島(旧・唐桑町/現・気仙沼市)では昔から暴風雨や潮風の被害から,農作物や家屋を守るために椿を植えていたこと,搾油した「椿油」は「けんちん汁」,「天ぷら」(郷土料理)や整髪用に利用していたことが記載されています。ただし,搾油の具体的方法の記述はありませんでした。
<参考資料>
資料1『油の絵本』(すずきおさむ 農山漁村文化協会 2006)
資料2『日本の食生活全集 35』(農山漁村文化協会 1989)
資料3『現代農業』83巻9号(農山漁村文化協会 2004)
資料4『現代農業』72巻5号(農山漁村文化協会 1993)
資料5『五城農友』504号(五城農友会 1989)
<回答日>
2011/3/11
「建物強制疎開」について
<質問>
太平洋戦争中,昭和20年7月10日には「仙台空襲」により仙台市は大きな被害を受けました。空襲に備えて,仙台市は「建物強制疎開」を実施したと聞きました。方針や実施地区(住所,建物名など)を知りたい。
<回答>
1 太平洋戦争中に実施された「建物強制疎開」に関する国の方針について
「建物強制疎開」に関する法令について,下記資料に記述がありました。
資料1『六法全書』(末川博 岩波書店 1942)
「帝国憲法」p.113「防空法」(昭和12年4月5日法律第47号 改正昭和16年-法律91)
第五条ノ五
「(前略)主務大臣ハ防空上空地ヲ設クル為必要アルトキハ命令ノ定ムル所ニ依リ一定ノ地区ヲ指定シ其ノ地区内ニ於ケル建築物ノ建築ヲ禁止又ハ制限スルコトヲ得」
2 仙台市における「建物強制疎開」について
資料2『宮城県百科事典』(河北新報社 1982)
pp.624-625「疎開」の項に下記の記述がありました。
「(前略)建物の疎開も強制的に実施された。重要施設周辺に疎開空地を造る第1防空地12万7842平方メートル,消防道路を造り,鉄道沿線に防空地帯を設ける第2防空地15万8928平方メートルが仙台市内について6月25日に指定され,対象1076戸が短期間で撤去された。仙台空襲の前日7月9日には第2次指定(8万463平方メートル,2063戸)が行われ,この約80パーセント1651戸の除去が7月中旬までに終わっている。この月末3000戸の第3次予定地が発表されたが,着手されないまま終戦となった。(後略)/逸見英夫」
3 仙台市における「建物強制疎開」に関する宮城県作成資料について
下記資料に建物疎開に関する宮城県告示が記載されています。
資料3『宮城県公報』 昭和20年 (マイクロフィルム)
(1)宮城県公報第2759号 昭和20年6月18日発行
「宮城県告示第277号」
(2)同 第2761号 昭和20年6月25日発行
「宮城県告示第286号」
(3)同 第2766号 昭和20年7月9日発行
「宮城県告示第312号」
ただし,資料3-(2),(3)については,番号,地積が記載されていますが,対象地域の図面は収録されていません。
4 仙台市における「建物強制疎開」に関する仙台市作成資料について
(1)資料4『仙台市公報』 第228号 昭和20年6月1日発行
p.1に下記の記載があります。
「市民鉄火の一丸となり敵撃滅に立ち上がれ 仙台市長 今村武志」
「(前略)従て国民義勇隊は又現下当面する防空,防衛,食糧増産,空襲被害の普及,都市並工場の疎開,重要物品輸送等に関する臨時緊急なる作業に対しては特に活発なる出動に服し(後略)」
ただし,具体的な実施地区,建物の記載は見つけられませんでした。
(2)資料4について,昭和20年6月2日以降の号は,本館では所蔵していません。
5 仙台市における「建物強制疎開」に関する新聞記事について
資料5『河北新報』 昭和20年6月26日発行 (マイクロフィルム)
第二面に下記見出しの記述がありました。
「仙台の建物疎開地区決る 二週間内に移転 除去作業七月末まで完了」
「(前略)この除去戸数は重要施設周辺三百二十七戸,消防道路二百五十九戸,鉄道沿線四百九十戸でこの内訳は次のとおりである。(後略)」
内訳として重要施設周辺・消防道路・鉄道沿線の疎開地区名と戸数が記述されています。
<参考資料>
資料1『六法全書』(末川 博 岩波書店 1942)
資料2『宮城県百科事典』(河北新報社 1982)
資料3『宮城県公報』 昭和20年 (マイクロフィルム)
資料4『仙台市公報』 第228号 昭和20年6月1日発行
資料5『河北新報』 昭和20年6月26日発行 (マイクロフィルム)
<回答日>
2011/6/4