第37号(2010年10月30日号)
目次
政宗、温泉の湯を取り寄せる
<質問>
伊達政宗は、晩年に土湯と秋保から温泉の湯を届けてもらったらしい。その典拠の文献が知りたい。
<回答>
『仙台叢書 第1巻』
「政宗公御名語集 下」(pp.143-179) に寛永十三年二三月のころに秋保から湯をくみよせて行水したとの記述あり。
p.146「(略)秋保より湯を御くみよせ。日夜御行水あそばされ。(略)」
『秋保町史 本編』
(五)古記に見える秋保温泉(pp.672-679)に次の記述あり。しかし、出典の記載はなし。
p.675「(略)伊達政宗は、寛永十三年(1636)五月二十四日七十歳で死去したが、その直前に「春中ヨリ御小瘡ニ就テ名取郡秋保併信夫郡土湯ナドヨリ温湯ヲ汲セラレ沫浴シ玉フ、因テ小瘡衰へタリト雖モ大切ニ思ハレ灸ヲ居ラル」といった治療を試みている。(略)」
<参考資料>
『仙台叢書 第1巻』(鈴木省三 仙台叢書刊行会 1922)
『秋保町史 本編』(秋保町史編纂委員会 秋保町 1976)
<回答日>
2008/7/12
宮城県下でのサツマイモ栽培事始
<質問>
1.昭和15・6年頃の高等小学校の副読本で、宮城県に甘藷(さつまいも)が入ってきた経緯等の記事を読んだことがあるが、それを見ることはできないか。
2.仙台市中田の寺院に宮城県に甘藷が入ってきた経緯が書かれた石碑があるが、その石碑についてや、宮城県に甘藷が入ってきた経緯についてわかる資料はないか。
<回答>
1.副読本について
『宮城県郷土読本 日之巻』「第十四課 甘藷と藍」に次の記述あり。
p.67「川村 幸八 我が仙台地方にはじめて甘藷を移植したのは、名取郡中田村の百姓川村幸八である。(略)幸八は明治2年正月十八日、八十二歳の高齢で没した。」
また巻頭例言二に次の記載あり。
「二、本書は分けて日・月の二巻とし、日之巻は高等小学校及び青年学校普通科・中等学校低学年、月之巻は青年学校本科・中等学校高学年の読物として適当ならしめるやう編纂した。」
なお、『教科書でたどる学都仙台』p.202に「(21)宮城県内使用郷土教科書等に宮城県郷土読本 月之巻 日之巻」とあることから、『宮城県郷土読本 日之巻』は、教科指導用の読み物として使用されていたものと思われる。
2.宮城県に甘藷が入って来た経緯については、下記の資料に掲載あり。
『宮城県史 第17巻』
pp.185-186 仙台市中田宝泉寺の記念碑写真・碑文の掲載あり。
『仙台はじめて物語』
pp.49-51 「サツマイモ」の記載あり。
『仙台事物起原考』
pp.39-40「甘藷栽培の始め」の記載あり。
佐々久著「甘藷翁川村幸八」『五城農友』139号. 1958. pp.40-43
高木治夫著「川村幸八と甘藷記念碑」『歴研みやぎ』58号. 2002. pp.2-3
<参考資料>
『宮城県郷土読本 日之巻』(宮城県教育会編 社会教育協会 1937)
『宮城県史 第17巻』(宮城県史編纂委員会編 宮城県史刊行会 1987)
『仙台はじめて物語』(逸見英夫 創童舎 1995)
『仙台事物起原考』(菊地勝之助 ヨークベニマル 1995)
『五城農友』(五城農友会)139号 1958
『歴研みやぎ』(歴史研究会宮城県支部)58号 2002
<回答日>
2008/4/11