第36号(2010年10月15日号)
目次
明治時代の仙台市内の町並みについて
<質問>
明治時代の仙台市内の町並みがわかる写真を探している。
<回答>
以下の資料に明治時代の写真が掲載されている。
『思い出のアルバム仙台』(カルダイ社 1980)
『仙台なつかし写真展』(仙台なつかしクラブ 2001)
『仙台市歴史民俗資料館収蔵資料目録 3』(仙台市歴史民俗資料館 1996)
※この資料によると、仙台市歴史民俗資料館では明治期の写真を数点所蔵している。
<参考資料>
『思い出のアルバム仙台』(カルダイ社 1980)
『仙台なつかし写真展』(仙台なつかしクラブ 2001)
『仙台市歴史民俗資料館収蔵資料目録 3』(仙台市歴史民俗資料館 1996)
<回答日>
2008/4/22
共同墓地の出現について
<質問>
明治43年頃の埋葬文化について。共同墓地や寺院に埋葬する風習は、宮城県下の一般人にも浸透していたものなのか、それとも著名人だけに浸透したものなのか、記載のある資料はないか。
<回答>
大藤修著「墓の語る近世」(『白い国の詩』576号所収)に次の記述がある。
pp.6-7 「(略)ところが、十七世紀後半から十八世紀前半にかけて墓標が急増することが、各地の調査で明らかにされている。いわば、墓標の大衆化とも言える現象が生まれたのである。(略)村落においては、上層の百姓の家に包摂されていた傍系親族や従属農民が、自立して自己の家を形成し、農業経営の主体となるとともに、独自に墓標を建立し、仏壇を設け位牌・過去帳を安置して、自己の家の死者・先祖を主体的に祭祀するようになる。(略)」
pp.9-10 「死者を埋葬する墓地自体は庶民の間でも古くから設けられていた。(略)」
『寺・墓・先祖の民俗学』に次の記述がある。
p.42 「(略)明治以降共同墓地化が進んだ結果、現在のようにどこでも共同墓地や境内墓地が一般化した。(略)」
p.46 「(略)先祖代々墓が多数建立されるようになるのは明治後期である。これには、明治国家の家制度の確立と定着が大きく関係していると思われるし、(略)」
<参考資料>
『白い国の詩』576号(東北電力株式会社広報室 2004)
『寺・墓・先祖の民俗学』(福田アジオ 大河書房 2004)
<回答日>
2008/3/6