宮城県図書館だより「ことばのうみ」第23号 2006年12月発行 テキスト版

おもな記事。

  1. 表紙の写真。
  2. 巻頭エッセイ「本に夢中だった頃」 シンガーソングライター みなみらんぼうさん。
  3. 特集 宮城県図書館のルーツを訪ねて その2 〜公共図書館の先駆「青柳文庫」〜。《叡智の杜》レポート。
  4. 図書館 around the みやぎ シリーズ第18回 岩沼市図書館。
  5. 読書推進講演会 三浦明博さん。
  6. 図書館からのお知らせ。

表紙の写真。

今回の写真は、京都国立博物館内文化財保存修理所で行われている貴重資料修復保存事業の様子をご紹介しています。

巻頭エッセイ「本に夢中だった頃」 シンガーソングライター みなみらんぼうさん。

 僕は昭和十九年生まれなので、幼い頃はいわゆる戦後で本が少なかった。絵本も『さるかに合戦』とか『もも太郎』などの古典的なものばかりで『のらくろ』の漫画本などは、それこそ破れても継ぎはぎしてまで読んだ記憶がある。

 五年生ぐらいになると、学校図書館が一種の流行になった。主として冒険小説などだが、これを競い合って借りるようになった。アルセーヌ・ルパン全集、シャーロック・ホームズ全集、江戸川乱歩全集、それに少年ケニアシリーズなど、いつもランドセルは教科書よりも、借りた本でズッシリと重かった。

 六年にもなると、他のオピニオンリーダー達の読む本が気になり始める。「あいつ、こんな本読んでるのか」と気になり「じゃ僕も読んでみるか」と思って借りたのが、夏目漱石の『坊ちゃん』だった。

こうして読書力は学校図書館で鍛えられ、日本文学全集から、世界文学全集などに移り、知的興味が満たされていったのだった。

 

著者のご紹介。

みなみ・らんぼう シンガーソングライター。1944 年宮城県栗原市生まれ。法政大学社会学部卒業後、ラジオ台本作家を経て 1971 年作詞・作曲家としてデビューし、1973 年歌手デビュー。 1976 年に発表した「山口さんちのツトム君」はミリオンセラーを記録し世代を越えて、多くの人に歌い継がれている。コンサート活動の他、テレビのリポーター、ラジオパーソナリティー、執筆活動と多方面にわたり活動を続けている。最近では山歩きをライフワークとして、四季を通して国内外の山に登り、新聞・雑誌などに山旅のエッセイを発表している。平成12 年11 月より東京都武蔵野市の教育委員。

特集 宮城県図書館のルーツを訪ねて その2 〜公共図書館の先駆「青柳文庫」〜。

 明治14年(1881)に「宮城書籍館」として設置され、今年創立125周年を迎えた宮城県図書館。その歴史をさかのぼると、藩校養賢堂と青柳文庫にたどり着きます。前号の特集「藩校養賢堂とその蔵書」に続いて、公共図書館の祖ともいわれている「青柳文庫」をご紹介します。

 

青柳文庫とは。

 「青柳文庫」は、仙台藩出身で江戸で成功した青柳文蔵(1761-1839)が、自分の蔵書2,885部9,937冊と文庫の運営基金1,000両を仙台藩に献上して、天保2年(1831)に創設された公開の文庫です。青柳文庫の管理のために仙台藩は事務方として目付2人を置き、蔵書は武士や町人の別なく閲覧・貸出されました。このような青柳文庫の運営方法は、現代の公共図書館に通じるものがあり、わが国における公共図書館のさきがけといわれています。

 文庫の建物は、仙台城下百騎丁にあった医学校構内(現在の仙台市青葉区一番町、元仙台中央警察署敷地内)の西南隅に建てられ、間口3間2尺5寸(約6.2メートル)、奥行2間2尺5寸(約4.4メートル)ほどの大きさで、土蔵造りでした。青柳文庫は明治維新まで続きました。

 

青柳文庫の蔵書。

 青柳文庫の蔵書は、文蔵が収集した蔵書がもとになっており、医学・法律などの専門書から、『太平記』『西遊記』などの読み物類まで幅広い分野の書物で構成されていました。医学に関する蔵書は、文蔵が少壮のころ、町医者であった父のあとを継ごうとして研鑽したことがきっかけになって収集されたと考えられます。本館では『大和本草』などを所蔵しています。また、当時の教養の中心であった儒学、特に文蔵が江戸に出てから学んだ「折衷学派」の書物も所蔵しています。さらに『令義解』など文蔵が傾倒した法律に関する書物のほか、古銭の収集家でもあった文蔵の自著である『青柳館蔵泉譜』をはじめとする古銭関係の書物が多く所蔵されていることも特色のひとつです。

 

青柳文庫の蔵書印。

 青柳文庫の蔵書には、1.「青柳館文庫」、2.「市井臣文蔵献仙台府書」、3.「勿折角勿巻脳勿以墨汚勿令鼠噛勿唾幅掲」の3種類の蔵書印が押されています。

 1.「青柳館文庫」の印は、青柳文蔵個人の蔵書印であり、仙台藩への献納以前に押されたものです。2.「市井臣文蔵献仙台府書」(市井の臣文蔵仙台府に献ずる書)は、青柳文蔵が仙台藩に蔵書を献納したときの印です。3.「勿折角勿巻脳勿以墨汚勿令鼠噛勿唾幅掲」(角を折る勿れ 脳を巻く勿れ 墨を以て汚す勿れ 鼠をして噛ましむる勿れ 幅に唾して掲る勿れ)の印も献納に際して押されました。これは、「本の角を折らないこと、本の背を丸めないこと、墨で汚さないこと、鼠にかじらせないこと、唾をつけてめくらないこと」の意味で、利用にあたっての心得を述べたものです。これらは、図書館資料利用のマナーとして現代でも十分通用するものといえるでしょう。

 

青柳文庫のその後。

 明治維新後、青柳文庫は廃止され、蔵書は散逸を余儀なくされました。明治7年(1874)に宮城師範学校の校舎が勾当台に落成し、蔵書の一部は同校へと引き継がれました。明治14年(1881)宮城師範学校の校舎の一部を借りて、宮城県図書館の前身である「宮城書籍館」が創設された際に、宮城師範学校から青柳文庫の大半が引き継がれました。第二次世界大戦時には疎開により焼失をまぬがれ、現在宮城県図書館が所蔵しているのは459部3,339冊です。「養賢堂文庫」(旧仙台藩校養賢堂の蔵書)とともに、この青柳文庫の蔵書が宮城県図書館の蔵書の母体となりました。

 他に、青柳文庫を所蔵している機関として、宮城教育大学附属図書館、国立国会図書館、仙台市民図書館、東北大学附属図書館、斎藤報恩会、仙台市博物館などがあります。

医学校について。

 「青柳文庫」は仙台藩の医学校構内に建てられました。仙台藩における医学教育は、宝暦10年(1760)、藩医である別所玄李(1722-1772)が医学講師に任命され、医書の講義を学問所で行ったのがはじまりです。学問所での講義では藩医のみならず家中医師や町医師にも聴講が許されていました。

 その後、文化7年(1810)に養賢堂学頭に就任した大槻平泉により学制改革が行われ、医学教育部門は分離独立させることになり、文化14年(1817)百騎丁に医学校が完成しました。構内には施薬所を設け、治療を行うことにより学生の臨床実習の場としたほか、末無掃部丁(現在の仙台市青葉区花京院1丁目)には付属薬園である御薬園を設けて、施薬所での薬剤の原料となる薬用植物が栽培されました。

 初代学頭に任じられた渡部道可(1772-1824)は、諸藩の医学校に先駆けて蘭方(オランダ医学)を採用し、佐々木中沢(1790-1846)・小関三栄(1787-1839)を講義に当たらせるなど、西洋医学の充実に努めました。しかし渡部道可の没後は再び漢方が主流となりオランダ医学教育は一時期衰退したため、希望する者は養賢堂の蘭学方で蘭学を学びました。

青柳文蔵の生い立ちと生涯。

 青柳文蔵は、仙台藩領磐井郡東山松川村(現在の岩手県一関市東山町松川)に、町医者小野寺三達の三男として宝暦11年(1761)に生まれました。兄2人姉3人の6人兄弟の末の子でした。父の三達は私塾も開いており、文蔵は幼いころから和漢の書に触れていたものと思われます。才気煥発で、12、3歳のころには平仄(漢詩の韻律についてのきまり)を暗記して漢詩を作ったといいます。

 父の医業に継ぐため16歳で医師の門人となったものの、18歳で江戸に出ました。その際父から勘当を言い渡され、以後小野寺姓を捨てて父の旧姓である青柳を名乗りました。江戸に出たのち、文蔵は折衷学派の儒学者として名高い井上金峨(1732-1784)に学んでいます。

 やがて文蔵は『棠陰比事』(宋代に書かれた判例集)など法令・法度の書物にひかれ研究を重ね、ついには公事師(金銭上のもめごとなどに介入して解決の仲介をする人)として名をあげるようになり、かたわら金融業を営むなどして財を成しました。文蔵の蔵書はこうして得た資財で買い集めたものでした。また当時の儒者や文人たちとの交友も多く、文蔵は天保10年(1839)、江戸でその生涯を終えました。

 

現代に生きる「青柳文庫の精神」。

 現在、青柳文庫跡地(仙台市青葉区一番町、元仙台中央警察署敷地)の前に「青柳文庫跡地碑」が建っています。かつてこの地には、江戸後期の儒学者松崎慊堂(1771-1844)に青柳文蔵が撰文を依頼した「青柳文庫記」が刻まれた石碑が立っていました。その碑文によれば、「之(=文蔵の蔵書)を世の士子にして、吾少時の如く志を抱きて遂ぐる能わざる者に付して之を読ましむるに如かず」、つまり「自分の少年のころのように、学問への志を抱きながらも達成することができない人々に対して、自分の蔵書を利用に供して読ませるのがよい」との趣旨から文庫の設置を仙台藩に願い出たことが記されています。

 また文蔵は、郷里の東山に籾倉を設置して籾4000石を蓄え、この籾を低利で貸し付けその利息をもって文庫の修理・賄いなどにあてるほか、困窮する人々の救済に利用する計画を立ててもいます。さらに、蔵書が散逸しやすいものであることを述べ、「金沢文庫」や「足利学校」を例にあげ、仙台藩という「磐石の大府」に託すことができたからこそ、蔵書を後世に伝えられると記しています。青柳文庫のこうした精神は、現代の公共図書館の社会的使命と役割に通じているといえます。

 その後「青柳文庫記」の碑は失われてしまいましたが、岩手県一関市東山町松川の松川小学校には籾倉である「青柳倉」の由来を記した「青柳倉記」の碑が残されており、文蔵の志をしのぶことができます。

《叡智の杜》レポート 『源氏物語絵巻』を身近に感じる授業。

 平成18 年11 月17 日、県図書館が巡回貸出している複製資料を活用した古典の公開授業が宮城県築館高等学校で行われました。「古典の文法や解釈だけでなく、精巧な複製資料に触れることによって古典の雰囲気を生徒に味わってもらいたい」との思いから、同高校の上遠野裕子教諭が計画したものです。今回の授業では本来の巻子本の形が再現された国宝『源氏物語絵巻』の複製が利用されました。授業は、カーテンが引かれ薄暗くなった書道室で行われました。はじめに、繰り広げられた絵巻をろうそくの光の下で鑑賞することにより当時の人々が絵巻を見ていた環境を体感した後、照明の下900 年後の現在の目で改めて絵巻を観察し、剥落の状況や細やかな筆づかいなどを確認しました。また、制作当時の絵巻の色彩を復元した『よみがえる源氏物語絵巻』(NHK 出版)と比較し、当時使用された絵の具や、絵巻物特有の描写技法についての解説が行われ、当時と現代の美意識の共通点や相違点について生徒たちが考察しました。

 授業を受けた生徒たちからは、「(複製は)絵の具が剥がれ落ちていてもとても味わい深い」「機会があれば本物をぜひ見てみたい」といった感想が寄せられました。

図書館 around the みやぎ シリーズ第18回 岩沼市図書館 川名美貴子館長。。

 歌に詠まれた「武隈の松(二木の松)」の近くに「学習館」が昭和 46 年秋に児童生徒、学生の学習の場所としてオープンしたのが岩沼市図書館の前身でした。その後に、住民から本格的な図書館を求める声が高くなり、昭和50 年春に岩沼市役所南隣に現在の図書館が開館いたしました。また、昭和59 年には、東部、西部地区にある公民館内に各分館を開設いたしました。岩沼市図書館は、みんなの図書館、身近な図書館を目指して①図書館資料の整備と充実②図書館蔵書の公開をして情報を広く提供する③利用サービスの拡大を掲げております。より多くの市民のニーズに応えるためには、蔵書の新陳代謝は欠かせません。自由な資料提供の機関として、選書には新鮮さを失わないよう心がけております。

 岩沼市では、絵本を通して親子の絆を深め子どもが健やかに成長し、豊かな心を育んでもらうため「親子ふれあい絵本事業」として、1歳8か月児健診の時に絵本を1人2冊差し上げております。この事業を推進するためにも、特に児童書を充実させることで来館した親子が「自由の本棚」と感じてくれればと思っております。

 図書館運営にはボランティアの協力がなければ出来ないものがあります。絵本の読み聞かせですが、毎月のお話し会の他に読書週間にちなんだ行事には必ず参加していただいております。図書館を拠点として活動しているボランティアの方々には、これからも多方面で活動していけるよう惜しみないサポートをしていきたいと思っております。

 

岩沼市図書館のご紹介

開館時間(本館)火曜日〜金曜日 午前10時〜午後6時。 土曜日・日曜日 午前10時〜午後5時。
休館日 月曜日(分館は毎週日曜日)、館内整理日(原則として毎月末日)、祝(休)日(祝(休)日が月曜日の場合は、本館は翌火曜日も休館)、年末年始(12月28日から1月4日)、特別整理期間。
交通案内 JR東北本線・常磐線「岩沼」駅徒歩15分。岩沼市民バス「iバス」市役所前下車徒歩2分。
図書館のデータ。
蔵書冊数 106,893冊(平成18年3月31日現在)。
貸出冊数 199,943冊(平成17年度実績)。
住所 〒989-2433 宮城県岩沼市桜一丁目5番38号。
電話 0223-24-3131。 FAX 0223-25-1713。

読書推進講演会 三浦明博さん「小説の隣にあるミステリー 〜創作の背後で起きた、いくつかの奇妙な偶然〜」。

 平成18 年10 月28 日、本館2 階ホール養賢堂で読書推進講演会が開催されました。今年度は、旧築館町(現栗原市)出身で第48 回江戸川乱歩賞を受賞した作家の三浦明博さんをお招きし、本館ボランティアとしても活躍されているフリーアナウンサーの松尾あかりさんを聞き手に「小説の隣にあるミステリー 〜創作の背後で起きた、いくつかの奇妙な偶然〜」と題したお話を伺いました。以下、お話の一部をご紹介します。

 

松尾。

2006 年6 月に出版された『罠釣師』について教えてください。

 

三浦。

簡単にいえば、フライフィッシングのだまし方を人に応用した詐欺師の話ということになります。釣りには興味がなくても人が人をだます、だまされるという心理の綾には興味がある方は結構おられるんじゃないかと思います。人間心理のやり取りの助けになるものとして釣りを利用しました。また、今までは読者の気持ちを最後に解きほぐすような結末をあまり書いていないんですね。暗い感じの終わり方が多い。今度の連載では気持ちが明るくなるものを書きたいと言う気持ちがありました。連載中も手直しをしているときも、つらかったんですがすごく楽しかったですね。

 

松尾。

今回のお話のタイトル、「小説の隣にあるミステリー」とはどういうことですか?

 

三浦。

今まで作品を書いている中でいくつか不思議な出来事がありました。新しいところでは『罠釣師』の中に、仙台から川崎に抜ける山道で登場人物が交通事故を起こすシーンがあります。連載が終わって本になるまですこし時間があったので、そのシーンが本当に必要なのか、見直そうと思って平日に車を運転して現地に行ってみました。すると車が変な形で止まっていて、見ていると考えていたまさにその場所で事故が起きているんですね。この事故は自分のせいだと思ってしまいました。偶然と言えばただの偶然なんですが、作り話が現実と入れ替わったような気がして気持ちが悪かったですね。

 

 このほかに、江戸川乱歩賞を受賞して作家デビューに至るまでの苦心や、その過程で宮城県図書館を利用して参考文献を取り寄せたことなど、三浦さんの創作活動の裏側がうかがえるお話を聞くことができました。その後、「タイトルはどうやって考え付きますか?」「煮詰まったときにはどうしていますか?」など、会場からの質問に三浦さんが答え、最後に「創作を目指している若い人たちは、自分の知的体力を信じてがんばってほしい」とのメッセージで締めくくられました。

図書館からのお知らせ。

企画展「マップ・トリップ 〜地図からはじまる知的旅行〜」を開催します。

 ふだん見慣れたものとは異なる視点から作成された地図を中心に、地図を見る際のポイントなどの解説を交えながら、古地図や地図にまつわる資料を展示します。どなたでも自由にご覧いただけますのでぜひお越しください。

開催日時 平成19年1月5日(金曜日)から3月1日(木曜日)まで。図書館開館日の午前9時30分から午後5時まで。
 場  所 宮城県図書館 2階展示室。
 展示内容 『坤輿万国全図』レプリカ、『Down Under Map of the World』など、地図資料・関連資料 約50点。
 また会期中、国指定重要文化財『坤輿万国全図』を特別公開します。
 日  時 平成19年2月10日(土曜日) 午前9時30分から午後5時まで

 

秋田県立図書館で「きらめく叡智と美のしずく展〜宮城県図書館所蔵貴重書の世界〜」が開催されます。

本館がすすめている「貴重資料修復保存事業」の成果である『坤輿万国全図』『禽譜』などの貴重資料レプリカが秋田県立図書館で展示されます。この事業は秋田県立図書館と本館が広域連携事業の一環として開催するものです。
 場所 秋田県立図書館 2階特別展示室(秋田市山王新町 14-31 電話 018-866-8400)。
 期間 平成19年2月27日(火)から3月25日(日)まで。

この「ことばのうみ」テキスト版は、音声読み上げに配慮して、内容の一部を修正しています。
特に、句読点は音声読み上げのときの区切りになるため、通常は不要な文末等にも付与しています。
「ことばのうみ」は、宮城県図書館で編集・発行しています。
宮城県図書館だより「ことばのうみ」 第23号 2006年12月発行。

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